カテゴリー:「てんてんしましまを探して」

「アーティスト」販売員/「てんてんしましまを探して」第11回・福岡/会員制サロン「LOUVE(ルーヴ)」オーナー・藤川修子さん

「てんてんしましまを探して」 / ショップさん

「てんてんしましまを探して」は、毎週木曜正午更新
てんてん(水玉)しましま(ボーダー&ストライプ)のかわいいアイテム、そこに携わる人々の思いをバッグブランドSaori Mochizukiのデザイナー・望月沙織がつづります。企画詳細についてはこちらをご覧ください。

こんにちは、水玉とストライプ&ボーダーのバッグデザイナー・望月沙織です。

さて「てんてんしましまを探して」第11回目の本日ご紹介するのは、福岡で隠れ家的ブティックサロンを経営されているLOUVE(ルーヴ)の代表・藤川修子さんです。

「すみませーん!バッグ、売れちゃったんです!」

藤川さんから初めて頂いたお電話がこれでした。

?????

売れちゃったって、どういうこと???藤川さんて、だれ?????

出会いは衝撃的でした。

福岡・LOUVE

オーナー・藤川修子さん

そもそも藤川さんとのご縁をつないでくださったのは、長崎・平戸と福岡を拠点に活動をされているアクセサリーブランド「TOIRO-FIRANDO」の代表・小値賀さんでした。

TOIROさんは今、うちの商品を福岡の催事で販売してくださっています。その関係で結構沢山うちの商品を預かってくださっているのですが、「とってもすごい人がいて、その人に是非サオリさんのバッグを紹介したいと思っているんですけど、いいですか??」と、ご連絡を頂いたのが藤川さんのことでした。

その後、藤川さんが「これは!」と思ううちのバッグを、TOIROさんで保管中の在庫の中からいくつかピックアップし→LOUVEに持ち帰り→品出しをしているうちに→売れてしまった!

・・・詳しい事情はよくわからないのですが、とにかくそんな感じだったと思います。

その間、ほんの数日。あまりの展開の速さに全く事情が飲み込めず、最初はぽかんとあっけにとられておりました。

そして後から冷静になって、「いやでも、なんであんなにあっという間に売ることができるの〜〜〜?」と、その凄まじい販売力に興味津々になったのです。

という訳で福岡に渡ったモチヅキ、単刀直入にその点について藤川さんに聞いてみちゃいました。他にも色んなお話を伺いましたが、今日はもう一点突破!皆さんも一番悩んでいるであろう「売る」ということ特化して、カリスマ販売員なんて言葉では語りきれない、アーティステックな藤川流アプローチ法や思いをご紹介したいと思います。

福岡・LOUVE

LOUVEの店内にはTOIRO-FIRANDOのアクセサリーも沢山並んでいます。

—まず、なんでそんなに売れるんでしょう??わたくし、あっという間に売れてしまったことに、本当にびっくりしたのですよ。何が他と自分の違いだと思いますか??

<藤川さん(以下<藤>)>
お客様に対して、いきなり商品の話はしないんですよ。少し様子を伺います。でも、相手をベタ褒めすることもないんです。ちょっと持ち上げて落としたり、「もうちょっとこうしたら??」と嫌なことも言います。

そうやって土足で入っていくと(笑)、相手は初めて会った気がしなくなるんですね。

(私が生まれ育った)田舎はみんなフレンドリーで、知らない相手でも平気で話しかけます。こういうやりかたは、そんなところから来ているのかもしれません。

ちなみにご出身はどちらなんですか?

<藤>
宮崎です。最初は宮崎で教員をしていました。幼稚園で2年、小学校で半年教えていました。先生をやっていた人って、意外とこの仕事で成功しているんですよ。ごまかしがきかない鋭い子供を相手にしていて、気配り・目配りができるので。

なるほど。ちなみにそこから、1回はチャレンジしてみようと思って、今の業界に転職されたそうです。

そして一番最初に働いていたお店をやめて他店に移った時、やめたお店の会社に「藤川さんはどこに行ってしまったのーー???」と、お客様から電話が殺到したそうです。それに困り果てた会社から、「(本来はそういうことは許可しないんだけど、量が量で、業務に支障をきたすので)自分の移籍先について、案内のハガキを出せ」と言われたそうです。

その後、そういった販売での実績をもとに、様々な会社の販売コンサルタント事業も始めます。

しかしコンサルをする先々のお店に、お客さんが藤川さんと一緒に移動したそう!

そうやって自分についてきてくれるお客さんをたらい回しにしていていいのだろうか、ということで、3年前にご自身のサロン「LOUVE(ルーヴ)」を開くこととなります。

福岡・LOUVE

つまりお客さんは、藤川さんから商品が買いたいんです。あの人でもこの人でもなく、藤川さんから。

これはもう販売員だれもが目指すところで、よく接客のマニュアル本などにも書かれていることなんですが、だからといって、なかなか簡単には行きません。どうして藤川さんはそんなにお客さんに慕われ、信頼してもらえるのでしょうか。

<藤>
私はまず、お客さんを頭の中で裸にするんですよ。この人に何を着せようかな、この人は胸が大きいぞ、とか、髪型も服も、全部頭の中で変えるんです。一瞬の間にストーリーを作っています。50人いたら、50人分できますよ。

道を歩いていても、向こうから来る人を、次々に着せ替えています。あー、あの人は意外とお腹に肉がついているな、とか、男目線で色々想像しています(笑)。

そんな話、初めて聞きました!でも要は、その人の本質的な体系の部分までさかのぼって、一体この人は何が似合うのか、っていうことを会った瞬間に考えているってことなんですね。

<藤>
頭の中にフィルムが入っていて、映像が出てくるんです。お客さんが1回目に買った商品は全部覚えていますよ。久しぶりに会って、名前と顔を忘れてしまっていても(笑)話しているうちに、「あ、この人が最初に買ったのはアレだ!」と必ず思い出します。

そこから、そのお客さんが何を持っていないのか、持っていないアイテムをおすすめします。

地図は、空中から見た図が一番分かりやすい、という藤川さん。

それと一緒で、お客さんのことを俯瞰から眺めてあげて、足りてないものを差し出してあげれば、必然的に売上につながるでしょ、ということなんですが、そうするためには、まず自分が今までどんなアイテムをそのお客様に進めてきたのか、きちんと覚えていなければなりません。ただ、「売れ筋だから」「会社で売れって言われたから」というものを何にも考えずにすすめているだけだと、覚えていたくても決して記憶には残らないでしょう。

つまり逆にいうと藤川さんは、その都度きちんと自分の頭で考えたものを、それぞれのお客さまにあわせてすすめているからこそ、鮮明に記憶に残っているということでもあると思います。

<藤>
「これ、いま流行ってるんです〜」って言われても、だからどーした?って思うでしょ。それがそのお客さんに似合うとも限らないし。

私は、流行はお店が創り出すものだと思ってます。

お客さんに、「いま何が流行ってるの?」って聞かれると、私は「世間は知らないよ。でもうちはこれ!」って応えてます。世間で茶色が流行している時に、「うちは黒!」と、黒をおすすめしていたら、お客さんは「良かった!(みんなとかぶらない)黒を買って!」って喜んでくれますから。

でも、逆に流行っているものが欲しい、皆と一緒がいい、って言う人もいると思うんですが、そういう時はどうするんですか??

<藤>
そういう時は、「茶色にしときな〜」って言いますよ。無理強いはしません。

大切なのは、表現力です。(お客さんのことを)全否定もしないけど、全部のみこむ訳でもない。お客さんからびっくりさせられるようなことを言われたら、更にその上を行く何かで、逆にもっとびっくりさせられないとダメだと思います。

褒めるだけだと誰にでもできます。でもコンプレックスもつかんで、逆にそこがかわいいじゃん!と言ってあげることも大切です。

さっき、私は男目線で女性を見てるって言ったけど、福岡は女性があまってるんですよ。そして本当に気が利かない男が多い!(笑)だから女性が上に立って(男勝りに)やってるけど、やっぱり女性らしさは失ってほしくないと思うんです。トイレットペーパーを丸めて手を拭くんじゃなくて、ハンカチで拭きましょうよ、とか、そういう部分のお手伝いができたら良いなと思ってます。

福岡・LOUVE

その場を丸くおさめるためにチヤホヤすることは簡単だし、コンプレックスを指摘するだけでは単なるイジメだ。でも藤川さんは、愛情ある目線を注いでグッと相手に踏み込み、どうしたらコンプレックスを含めてその人が魅力的に輝けるか、瞬時に考えているのです。

そんなことされて、惚れない人がいるでしょうか。

<藤>
太ったけど、サイズ感を変えずに着られるお洋服を提案してあげることが大切なんです。

そしてそういうブランドを見つけてくるのが藤川さんの仕事、ということなんでしょう。

・・・ちなみに恐ろしいけど、思い切って聞いてみます。

福岡・LOUVE

うちのバッグは一通り売っていただき、現在はこのSpin Offが1点のみ、店頭にありました。ありがとうございます。

うちのバッグはどうしてお取り扱いいただけたのでしょうか?

<藤>
たまたまね、バッグが全く手元になかったんですよ(笑)。で、TOIROさんから望月さんのことを紹介された時に、持ってきてもらったのがそもそもです。

そこからは、TOIROさんから聞いた望月さんのイメージと、カタログにのっている望月さんの写真を見て、「これはスライサーっていうのを貼っていてですね」「バッグの重量はほうれん草1束と同じ位の軽さなんですよ」と、あたかもブランドのことをものすごく知っているかのように説明していました。

要は、作っている人への想像力ですよね。だから、作り手は「思い」がある人の方が絶対にいい。デザイナーの方が商品に対しては詳しいんだから、自信を持って売った方が良いですよ!

・・・と、最後はもうわたくしへの応援の言葉だと勝手に解釈しましたが(笑)、とにかくお客さまとブランド、あらゆる方向への思いの巡らし方がハンパないんです。そこまでやられて、ついていかない人の方がおかしい。

<藤>
次のステップは、去年くらいからずっと考えていて、ここを居心地の良い場所にしたいと思っています。うちに来るお客様は、30代、40代、50代と、体のバランスが崩れてくる年齢にさしかかるので、衣食住、トータルビューティーを提供できる場にしたいと思っています。お化粧品や、下着のプロに来てもらったり、私自身は今(サービスとして提供するために)ピラティスの資格を取ろうとしています。

いいな。近かったら、わたくしも通いたい。

人は人、自分は自分。もっと自信を持ちなさい、って色んな人に言われますが、こんなに説得力を持って、心に響いたのは久しぶりでした。それはきっと藤川さんがそういう生き方を貫いてきているからだと思います。

そんな藤川さんに会ってみたい!お洋服を見立ててほしい!と興味を持った方は、どうぞ下記にリンクをはっておりますLOUVEさんの連絡先(メールアドレス)まで、お問合せ下さいませ。

「東京だからちょっと遠いな…」なんて思ってるそこのあなた!似合う服が見つからず、いつまでも中途半端なものに無駄遣いしているくらいだったら、ぱっと福岡まで行って藤川さんに「丸はだか」にされた方が、ずっと良いいかもしれませんよ!

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

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質のいいものを、末永く、より輝かせることができる人/「てんてんしましまを探して」第10回・福岡「カラフルブティックモア」オーナー・平田マドカさん

「てんてんしましまを探して」 / ショップさん / 雑貨屋さん

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「てんてんしましまを探して」第10回
福岡「カラフルブティック モア」/オーナー・平田マドカさん

カラフルブティックモア

平田マドカさん

本日の記事はこちらのページにアップされております。ぜひご覧くださいませ。

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

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環境は自分の手で創るもの/「てんてんしましまを探して」第9回・東京/自由が丘「アイサロンシエル」代表・小山田松美さん

「てんてんしましまを探して」 / ショップさん

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「てんてんしましまを探して」第9回
自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

小山田松美さん

こんにちは、水玉とボーダー&ストライプのバッグデザイナー・望月沙織です。「てんてんしましまを探して」もおかげさまで、はや9回目、本日ご紹介するのは自由が丘でまつげ専門サロンを経営されている小山田松美さんです。

小山田さんとのご縁は、説明しようとするとわたくしのダンナでもある我が社の撮影部長・谷 峰登にまで話がさかのぼります。

谷は主にTVCMや映画の映像を撮るカメラマンをやっております(その合間でたまーにうちの商品撮影なんかをやってもらってます)。そして撮影の際には、「照明技師」という光をコントロールするプロフェッショナルとタッグを組みます。

「照明」というと、ライトをぼんぼんあてるイメージがあるかもしれませんが、例えば室内の撮影の時、窓から流れ込む自然光を調節したり、逆に外ロケであたりすぎる太陽光をカットしたりと、画面の中の光の回り方をコントロールするのが主なお仕事になります。特に映像の場合、被写体が色々と動き回る場合があるので、結構大変なのです。

当然映像の色味やトーンを左右するお仕事なので、カメラマンにとっては大変重要な存在でして、たいていのカメラマンは、一緒に組む照明技師さんが決まっています。

そして谷がいつもお世話になっている照明技師が、今日ご紹介する小山田さんのダンナさんの小山田智さんになります(ちなみに最近の谷+小山田智さんのお仕事は、日清カップヌードルのTVCM「現代のサムライ」篇です。たくさん放映されていたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか)。

さてそんな小山田さんの奥さまである、小山田松美さん。まつげ専門店を立ち上げる7年前までは主婦をされていたとおっしゃいます。そこからどのような経緯をたどって現在に至るのでしょうか??色々と伺ってみました。

そもそも最初は美容師だったと伺いましたが、なぜそのお仕事をやめてしまったのですか。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小山田さん、以下「小」>
子供ができて切迫流産になったのを機にやめて、そこからしばらく主婦をしていました。

それなのに、どうしてまた仕事復帰しようと思ったのですか?

<小>
2人目の子供が中学受験の時に、そろそろまた仕事を始めたいと思って準備を始めました。

・・・○○ちゃんのママで終わりたくない。年齢的にも今さらお勤めしても貰えるお給料は微々たるもの。

ならばダメもとで独立してみよう、と思ったのが大きな理由とのこと。

おそらく前半部分は世の大半の「ママ」が抱く思いではないかと思います。ただそこから行動を起こし、会社にもダンナにも子供にもぶら下がらず、自分で自分の人生を切り開いてみようと思ったことがとってもカッコいい。

ちなみにダンナさんは起業するにあたってどんな反応をしましたか?また娘さん達は、小山田さんがお仕事をしている姿をどのように見てらっしゃると思いますか?わたくしも結婚後に起業したので、よく色んな人から「ダンナは反対しなかったのか??」と聞かれるのですが。

<小>
主人は、「僕も家事とか手伝うからやったら良いよ〜」なんて言ってました(笑)。娘達は、自分が(まつげのお手入れを)やってもらえるし、こちらも練習台にできるので、お互いに役立っている感じです。でも美容師には興味がないみたいですね(笑)。

少々補足させていただくと、小山田さんのご主人もうちの谷も、もともとがサラリーマンではなく、もう既に自分たちが「起業」しているような状態なので、普通の家庭に比べるとフリーで仕事を始めたり、起業することに対する抵抗がおそらく非常に低いです。また始めようとするわたくし達側からしてみても、彼らの良い部分も大変な部分も目の当たりにしてきているので、色んな意味で腹も座っています。この感覚は、なかなか一般的には理解しにくいかもしれませんが、とにかく普通の家庭に比べて幸か不幸(?)か「起業」へ向かいやすい環境にあるのは確かです。

とはいえ、やるかやらないかは自分次第。そしてやってみる道を選んだ小山田さんですが、でもなぜ美容師に戻らなかったのですか??

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
体力的に大変じゃないほうがいいと思いました(美容師は基本立ちっぱなしなので)。なおかつ美容師の免許がいかせる仕事、と思ったらまつげサロンにたどり着きました。同じ美容というくくりでリフレクソロジーやオステオパシーも考えたのですが、体力を使う上に特に国家資格が必要のない職業だったのでやめました。

ということは、まつげの施術をするためには美容師の資格が必要なんですね。知りませんでした!

<小>
まつげサロンが世の中に登場し始めた頃は、特に資格はいりませんでした。でも途中から免許が必要ということになりました(※)。一応首から上(の施術)は美容師のみに許されています。免許がないから続けられず廃業したお店もあったようですよ。

※トラブルが多発したのをきっかけに、2008年7月厚生労働省によって、まつげへ施術を行うには美容所登録並びに美容師免許が必要という通達が出された。

ちなみに3、4年前、初めて小山田さんのお店でわたくしが施術を受けた時は、確かお一人でやっていたと思います。今はその時よりも広い場所に移転して、更にはスタッフも増えていますが、どういうきっかけで規模を拡大したのですか?

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
(規模を大きくすることは)最初のプランにありました。

おー!すごい!目標を定めるのは大切ですよね(そして今のわたくしにはここが足りておらず、現在今までの行き当たりばったり経営の抜本的改革を進行中です…)。

<小>
本当は青山とかに出したかったのですが、(自宅に近いからという理由で最初に出店した)自由が丘の方が客層が読めたので、2012年3月に今の場所に移転して、9月にスタッフを入れました。

でもスタッフが増えると、自分1人でやっていた時とは根本的に色んなことが変わるので、色々大変ではないでしょうか。わたくしも今同じ境遇にあるのでよくわかるのですが…

<小>
好き勝手ができないのが大変ですよね(笑…そしてモチヅキ、大きくうなずく…)。あとはなるべくマニュアル化しようとしてますし、空き時間(予約が入っていない時)に何をしてもらうか考えるのも大変です。距離感も大切ですし。

確かに、スタッフ全員で同じクオリティの仕事をしようと思ったら、ある程度のことはマニュアル化した方が効率があがります。また、スタッフと仲良く信頼し合いながらやりたいけれど、ボスである自分は決してスタッフの「友達」ではないことを考えると、距離の取り方は本当に難しい。

とはいえ、そうやって規模を拡張できたのは、きちんと売上も立てられたからだと思うのですが、その辺り、続けてこられた秘訣はどこにあると思いますか?

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
うちはリピーターのお客様が多いから、それに支えられています。来店時に、次はいつ来るとまつげの美しさをキープできるかご提案して、次回の予約を入れてもらっているのは大きいです。そうすると自分たちも予定が立てやすいですしね。

なるほど。でもどんなに次の予約を入れてもらっても、また来たいって思える何かがないと、お客さんの足は向かないと思います。そのポイントは何だと思いますか?

<小>
うーーーん、なんだろう、、、、、。でも、間違いなく癒されると思いますよ。痛い思いはしませんから。

?????

最初、このコタエにあまりピンと来ませんでした。というのもわたくしは、まつげのお手入れは小山田さんのお店以外ではほぼ経験がありません。施術中に何か怖い思いはしたことがなく、それが当たり前のクオリティだと思っていましたが、この話を聞いてから、試しに色んな友達に聞いてみると、「痛い思いをするっていう噂はよく聞くから、挑戦してみたいけど怖くて行ったことがない」っていう人が結構いたのです。

つまりリピーターの皆さんは、そんな確かな技術力に惚れ込んで、「まつげならアイサロンシエル!」って決めているってことなんですね。それが小山田さんだけではなく、スタッフ皆さんで維持できているというのはなかなか簡単にできることではないと思います。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

施術前には、じっくりカウンセリングをしてくれます。どんな仕上がりにしたいか、カールの見本帳やイラストなどで確認しながら、こちらの要望を色々確認してくれます。

ちなみに次の目標って、どんなことなんでしょう??支店を出すご予定とかはありますか??

<小>
ありますよ!今、アジアでお店をできないか模索している最中なんです!

ええー!すごいーーー!!(わたくしも香港から帰ってきたばかりですーーー。)でも、自分で直接施術をやりたいっていうこだわりはないんですか?ハンドメイド雑貨の作家さんの中には、絶対に自分で縫いたいっていうこだわりが捨てられず、あえて規模を小さいままに維持している人も沢山いますが。

<小>
私、50歳で引退したいと思ってるんですよ。最初は(自分で施術をやりたいっていう)こだわりはありましたよ。でも視力のことを考えると限界がある。自分がやるよりも若い人がやった方がきれいにできるんだったらその方が良いと思います。アジアに出るにしても、アジアの人は手先が器用だし。でもそこにシフトするためには色々考えなきゃいけないこともあって、大変です。

いやもう、絶対うまく行くと思います。

<小>
私もなんか、日本よりもうまく行きそうな気がするんですよ(笑)。

人生の目標がはっきりしていて、ダンナさんも娘さんもみんな協力的。そう書くと、なんだかとても簡単に聞こえますが、それもこれもある日突然空からバラバラと降ってきた訳ではなく、小山田さんが丁寧に努力して至った場所だと思うと、やっぱりすごいな、と思います。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

ちなみに小山田さんはうちの水玉バッグ・ロードムービーのモノクロをご愛用くださってます。わたくし(右)は色違いのマルチカラーを使ってます。わたくし達、ご覧の通り結構身長差がありますが、お互いに使いこなせてます☆

と同時に、わたくしもそうやって1つずつ頑張っていったら、同じような所にたどり着けるのかな、と思うと、勇気がわきます。

いつかアジアのどこかで、「あの時あんな話をしてましたよねー」なんて、言いあえる日が来ることを願って、わたくしは小山田さんの背中を追いかけます。

貴重なお話、ありがとうございました。これからも夫婦共々よろしくお願い致します!

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

(一部敬称略でご紹介させていただいている場合がございます。ご了承ください)

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湧き出る疑問に文章で立ち向かう/「てんてんしましまを探して」第8回・文筆家・熊沢里美さん

「てんてんしましまを探して」

「てんてんしましまを探して」は、毎週木曜正午更新
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「てんてんしましまを探して」第8回
文筆家:熊沢里美さん

熊沢里美さん

熊沢里美さん
1987年 福岡県生まれ
2011年 東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業後、同大学大学院に進む
2013年 同大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了後、(株)ジュンク堂書店に入社
2014年5月 初の単行本「だれも知らないムーミン谷」(朝日出版社)を上梓

こんにちは、水玉とボーダー&ストライプのバッグデザイナー・望月沙織です。8月も終盤ですね。今年も早いです。あせります。

さて本日ご紹介する文筆家・熊沢里美さんは、わたくしのアシスタント・イフクの学生時代の同級生です(2人とも東京芸術大学・同大学院の出身)。「てんてんしましまを探す」というこのコーナーの趣旨からは少し逸脱するかもしれませんが、無から有を作り出す彼女のバイタリティや才能は、ブランド運営に通じるものがあり、とても魅力的です。今年5月にプランタン銀座でやったうちのイベントに熊沢さんが遊びにきてくださったのが最初の出会いですが、その時お話を伺ってみると、ちょうど処女作が出版されたばかり、というではないですか。

えっ?
えっ???
本て、そんなに簡単に出版できるものだっけ??

わたくしは興味津々になり、その後現在熊沢さんが勤務されている書店まで押し掛けていって、そのご著書を購入させていただきました。

という訳で本日は、どうやって本を出版するまでに至ったのですか?なぜ芸大(美術大学)に行ったのに、絵ではなく文章で表現しようと思ったのですか?…その辺りについて、もう少し突っ込んで伺ってみたいと思います。

熊沢里美さん

Oggi9月号特集「仕事を楽しむ、自分を楽しむ」より

Oggi9月号(小学館)の特集記事を拝見してまずびっくりしたのが、在学中、就職活動で出向いた出版社で、この処女作(「だれも知らないムーミン谷 孤児たちの避難所」朝日出版社)の出版の糸口をつかんだということだったのですが、それは就職面接とかでの出来事だったんですか?

<熊沢さん(以下、熊)>
いえ、そうではなかったんです。私は大学3年の時と、4年の時、それから大学院に入ってからと、全部で3回就職活動をしているんですが、どうしても出版社で働きたいのに、全部筆記で落ちていたんです。

だから芸大の先生に「どうしたら受かるんでしょうか?」と相談したら、「この人に話を聞きにいってこい」と、ある人を紹介してくれました。それが(「だれも知らない〜」を出版した)朝日出版社の常務だったんです。

でも朝日出版社はそもそも新卒を採用していなかった。また、編集という仕事の内情を色々説明してもらい、「君の性格だとちょっと難しいかも」とも言われてしまいました。

だけど、タダじゃ帰れない!と思って必死に自己アピールをしたんです。ちょうど北欧を旅して北欧民話について色々調べていた所だったので、その話をしました。それが全てのきっかけです。

でも、学生の自己アピール程度では、「じゃあ本を出しましょう!」とまでにはなりませんよね。それが熊沢さんの場合は本当に出版までたどり着いてしまった。その差は何だったと思いますか?

<熊>
おそらく先方に「この子を手ぶらで返すわけにはいかない」っていう思いがあったのかと。最初に相談をした先生と、この出版社のかたは、長年一緒に仕事をしていて信頼関係があったので。

あとは、今振り返って思うと「ね、やっぱり書けなかったでしょ。そんな甘いもんじゃないんだよ!」って思わせたかったのではないでしょうか(笑)。

相談をした先生にも、教育することや、人材を育てることへの義務感があったので、まずはそんなに世に出たいなら、こてんぱんにやられるべき、っていう思いがあった。

そこに根っからの負けず嫌いな私が、本当に食らいついてしまった、って感じでしょうか(笑)。

実際の出版までには2年を要したそう。何度も締め切りを踏み倒し「本当に苦しかった」といいつつも、出版社の気持ちをつなぎ止めた力はすごい。

そもそも出版社に受からない事実に対して、「そんなもんだ」と腐らずに、そのためにはどうしたらいいのか考えて行動できたこと自体も感動的だし(わたくしも就活で落ちまくりましたが、先生はおろかだれにも相談すらせず、ただただ世を呪っておりました…)更にはそこからもたらされたチャンスをモノにした精神力も並大抵のものではない。

熊沢里美さん

左:熊沢さんの短編「家族写真」が掲載されている「本の窓」5月号(小学館)
右:「だれも知らないムーミン谷」(朝日出版社)

だけど、芸大で絵を描いていたのに、なんで文章なんでしょうか?

<熊>
一番最初に文章を書き始めたのは、小学校3〜4年の頃でした。当時インターネットが流行り始めて、夜の10時から接続し放題になったので(懐かしい…そして歳の差を感じる…わたくしがインターネットに触れたのは大学に入ってからです)そこで詩や小説っぽいものを書いて投稿してたんです。賞を受賞したりもしました。

なるほど。ではそこからどうして芸大(美術方面)に進もうと思ったのですか?

<熊>
入学した高校は進学校だったんですが、1年の時、美術の先生が「美大に進みたい人がいたら、早めにいってね」って言ったんです。その言葉を聞いて「おや?美大って今から目指せるものなの?!」ととても興味がわいた。そしてどうせなら(単に進学校のレールに乗るのではなく)本当に興味があるものに挑戦してみるべきだ、と思ったんです。

そこからストレートで芸大に受かったというからまた舌を巻く…。

それなのに、どうしてまた最終的には文章に戻ってきたのですか?

<熊>
私、美術の押し付けがましい所が嫌になっちゃったんです。展覧会を見に行っても、自分が見たい絵が一番最後の方に飾ってあると「なんで今すぐ見れないの?!」ってウンザリしちゃう。部屋で絵を描けば散らかるし、冷蔵庫の中は訳の分からない画材で一杯になる(笑)。

だけど文章だと、自分の好きな時に好きなペースで向き合えますよね。ビジュアルも押し付けずに、読んだ人が自由に想像できる。

つまり、状況が自分でコントロールできないものは、あまり好きではないと。

<熊>
そうなんです。だからそれで言うと、美術鑑賞で私が一番好きなのは、画集をめくることなんです。

笑!画集なら、自分の好きな時に好きなタイミングで見られますもんね。

<熊>
あと、私の文章のスタイルは、ある疑問に対して、仮説を立てて検証する、っていうものなんですが、ある時、絵を何枚も描いている友人が「楽しい」って言ってるのを聞いて、私は何だったらずっと楽しめる?って考えたんです。その時に、「疑問」だったらいくつでもわき上がってくるかも、って思いました。

ちなみにこの「仮説」→「検証」というのは、楽天の三木谷社長の好きな(?)言葉で、ビジネス立ち上げの基本でもあります(お客さんには○×というニーズがあるのでは?という「仮説」を立てて、それを提供できるサービスを作って「検証」する。これをいかにスピーディに回していけるかが重要だ、と三木谷さんは説いています)。

先ほどの「なんで私は出版社に受からないの?」→「出版社の人に話を聞きにいってみよう」というのは、まさにこの「仮説」→「検証」です。そう思うと、熊沢さんにはビジネスマンの素養があります。だから例えば起業して、そこで文章力を使っていくという方法もあると思うのですが(起業すると他人を説得するために大量の文章(企画書とか)を書く必要に迫られるので)、そういうのはどうなのでしょう?

<熊>
いやー、私はやっぱり自分がまず疑問に思うものじゃないとだめなんです。だからライターの仕事(依頼されて対象を掘り下げる仕事)ですら無理なんです。

だったら例えば何かを取材して謎をひも解くというルポルタージュみたいな手法もあると思いますが?

<熊>
私、家を離れるのが苦手なんです。家が見えない場所が嫌いで、迷子になるのがとにかく怖い。上京してからずっと、お出かけしている気分ですし、家を一歩出たら戦争だと思ってるんですよ。

なるほど。熊沢さんの軸には、まず、自分の力でコントロールできないものに対する圧倒的な恐怖心があるのですね。

結局時間がなくて、どうしてそういう状況をそんなに恐れるのかということを伺うことはできませんでした。

でもその気持ちはとても理解できます。

わたくしもかつては誰かとケンカすると、相手が自分の思う通りに考えを変えるまでは絶対に許さないって思ってました。でも最近は、体力がなくなってきたせいか(笑)、大概のところで「ま、いっか」と状況に身を委ねてしまうことが多くなりました。

それは自分の経験値が上がって、身を委ねても何とかなるスベを身につけたからかもしれないし、もしかしたら単に諦めているのかもしれない。よくわかりませんが、それでも人生は何とかなっている。

熊沢さんは取材の最中、しきりと「私には小説の一番いい部分でもある、人と人との関係性を書くことができない。そういう才能がないんです」っておっしゃっていましたが、もしかしたら試しに他人に自分の価値観を委ねてみると、新しい人間関係の形が見えてくるかもしれませんし、わたくしは全然悲観することじゃないと思いました。

だって本当に才能がなかったら、そもそも本を出版することなんてできませんもの。

たぶん熊沢さんはこの問題も、元来の頭の回転の良さとみなぎるガッツで乗り越えていくことと思います。そうやって乗り越えた先でつかんだものを、またゼヒわたくし達におしえてください。

これからの熊沢ワールド、楽しみにしております。

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

(一部敬称略でご紹介させていただいている場合がございます。ご了承ください)

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熊沢里美

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