「てんてんしましまを探して」は、毎週木曜正午更新。
てんてん(水玉)しましま(ボーダー&ストライプ)のかわいいアイテム、そこに携わる人々の思いをバッグブランドSaori Mochizukiのデザイナー・望月沙織がつづります。企画詳細についてはこちらをご覧ください。
「てんてんしましまを探して」第9回
自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん
小山田松美さん
こんにちは、水玉とボーダー&ストライプのバッグデザイナー・望月沙織です。「てんてんしましまを探して」もおかげさまで、はや9回目、本日ご紹介するのは自由が丘でまつげ専門サロンを経営されている小山田松美さんです。
小山田さんとのご縁は、説明しようとするとわたくしのダンナでもある我が社の撮影部長・谷 峰登にまで話がさかのぼります。
谷は主にTVCMや映画の映像を撮るカメラマンをやっております(その合間でたまーにうちの商品撮影なんかをやってもらってます)。そして撮影の際には、「照明技師」という光をコントロールするプロフェッショナルとタッグを組みます。
「照明」というと、ライトをぼんぼんあてるイメージがあるかもしれませんが、例えば室内の撮影の時、窓から流れ込む自然光を調節したり、逆に外ロケであたりすぎる太陽光をカットしたりと、画面の中の光の回り方をコントロールするのが主なお仕事になります。特に映像の場合、被写体が色々と動き回る場合があるので、結構大変なのです。
当然映像の色味やトーンを左右するお仕事なので、カメラマンにとっては大変重要な存在でして、たいていのカメラマンは、一緒に組む照明技師さんが決まっています。
そして谷がいつもお世話になっている照明技師が、今日ご紹介する小山田さんのダンナさんの小山田智さんになります(ちなみに最近の谷+小山田智さんのお仕事は、日清カップヌードルのTVCM「現代のサムライ」篇です。たくさん放映されていたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか)。
さてそんな小山田さんの奥さまである、小山田松美さん。まつげ専門店を立ち上げる7年前までは主婦をされていたとおっしゃいます。そこからどのような経緯をたどって現在に至るのでしょうか??色々と伺ってみました。
そもそも最初は美容師だったと伺いましたが、なぜそのお仕事をやめてしまったのですか。
<小山田さん、以下「小」>
子供ができて切迫流産になったのを機にやめて、そこからしばらく主婦をしていました。
それなのに、どうしてまた仕事復帰しようと思ったのですか?
<小>
2人目の子供が中学受験の時に、そろそろまた仕事を始めたいと思って準備を始めました。
・・・○○ちゃんのママで終わりたくない。年齢的にも今さらお勤めしても貰えるお給料は微々たるもの。
ならばダメもとで独立してみよう、と思ったのが大きな理由とのこと。
おそらく前半部分は世の大半の「ママ」が抱く思いではないかと思います。ただそこから行動を起こし、会社にもダンナにも子供にもぶら下がらず、自分で自分の人生を切り開いてみようと思ったことがとってもカッコいい。
ちなみにダンナさんは起業するにあたってどんな反応をしましたか?また娘さん達は、小山田さんがお仕事をしている姿をどのように見てらっしゃると思いますか?わたくしも結婚後に起業したので、よく色んな人から「ダンナは反対しなかったのか??」と聞かれるのですが。
<小>
主人は、「僕も家事とか手伝うからやったら良いよ〜」なんて言ってました(笑)。娘達は、自分が(まつげのお手入れを)やってもらえるし、こちらも練習台にできるので、お互いに役立っている感じです。でも美容師には興味がないみたいですね(笑)。
少々補足させていただくと、小山田さんのご主人もうちの谷も、もともとがサラリーマンではなく、もう既に自分たちが「起業」しているような状態なので、普通の家庭に比べるとフリーで仕事を始めたり、起業することに対する抵抗がおそらく非常に低いです。また始めようとするわたくし達側からしてみても、彼らの良い部分も大変な部分も目の当たりにしてきているので、色んな意味で腹も座っています。この感覚は、なかなか一般的には理解しにくいかもしれませんが、とにかく普通の家庭に比べて幸か不幸(?)か「起業」へ向かいやすい環境にあるのは確かです。
とはいえ、やるかやらないかは自分次第。そしてやってみる道を選んだ小山田さんですが、でもなぜ美容師に戻らなかったのですか??
<小>
体力的に大変じゃないほうがいいと思いました(美容師は基本立ちっぱなしなので)。なおかつ美容師の免許がいかせる仕事、と思ったらまつげサロンにたどり着きました。同じ美容というくくりでリフレクソロジーやオステオパシーも考えたのですが、体力を使う上に特に国家資格が必要のない職業だったのでやめました。
ということは、まつげの施術をするためには美容師の資格が必要なんですね。知りませんでした!
<小>
まつげサロンが世の中に登場し始めた頃は、特に資格はいりませんでした。でも途中から免許が必要ということになりました(※)。一応首から上(の施術)は美容師のみに許されています。免許がないから続けられず廃業したお店もあったようですよ。
※トラブルが多発したのをきっかけに、2008年7月厚生労働省によって、まつげへ施術を行うには美容所登録並びに美容師免許が必要という通達が出された。
ちなみに3、4年前、初めて小山田さんのお店でわたくしが施術を受けた時は、確かお一人でやっていたと思います。今はその時よりも広い場所に移転して、更にはスタッフも増えていますが、どういうきっかけで規模を拡大したのですか?
<小>
(規模を大きくすることは)最初のプランにありました。
おー!すごい!目標を定めるのは大切ですよね(そして今のわたくしにはここが足りておらず、現在今までの行き当たりばったり経営の抜本的改革を進行中です…)。
<小>
本当は青山とかに出したかったのですが、(自宅に近いからという理由で最初に出店した)自由が丘の方が客層が読めたので、2012年3月に今の場所に移転して、9月にスタッフを入れました。
でもスタッフが増えると、自分1人でやっていた時とは根本的に色んなことが変わるので、色々大変ではないでしょうか。わたくしも今同じ境遇にあるのでよくわかるのですが…
<小>
好き勝手ができないのが大変ですよね(笑…そしてモチヅキ、大きくうなずく…)。あとはなるべくマニュアル化しようとしてますし、空き時間(予約が入っていない時)に何をしてもらうか考えるのも大変です。距離感も大切ですし。
確かに、スタッフ全員で同じクオリティの仕事をしようと思ったら、ある程度のことはマニュアル化した方が効率があがります。また、スタッフと仲良く信頼し合いながらやりたいけれど、ボスである自分は決してスタッフの「友達」ではないことを考えると、距離の取り方は本当に難しい。
とはいえ、そうやって規模を拡張できたのは、きちんと売上も立てられたからだと思うのですが、その辺り、続けてこられた秘訣はどこにあると思いますか?
<小>
うちはリピーターのお客様が多いから、それに支えられています。来店時に、次はいつ来るとまつげの美しさをキープできるかご提案して、次回の予約を入れてもらっているのは大きいです。そうすると自分たちも予定が立てやすいですしね。
なるほど。でもどんなに次の予約を入れてもらっても、また来たいって思える何かがないと、お客さんの足は向かないと思います。そのポイントは何だと思いますか?
<小>
うーーーん、なんだろう、、、、、。でも、間違いなく癒されると思いますよ。痛い思いはしませんから。
?????
最初、このコタエにあまりピンと来ませんでした。というのもわたくしは、まつげのお手入れは小山田さんのお店以外ではほぼ経験がありません。施術中に何か怖い思いはしたことがなく、それが当たり前のクオリティだと思っていましたが、この話を聞いてから、試しに色んな友達に聞いてみると、「痛い思いをするっていう噂はよく聞くから、挑戦してみたいけど怖くて行ったことがない」っていう人が結構いたのです。
つまりリピーターの皆さんは、そんな確かな技術力に惚れ込んで、「まつげならアイサロンシエル!」って決めているってことなんですね。それが小山田さんだけではなく、スタッフ皆さんで維持できているというのはなかなか簡単にできることではないと思います。
施術前には、じっくりカウンセリングをしてくれます。どんな仕上がりにしたいか、カールの見本帳やイラストなどで確認しながら、こちらの要望を色々確認してくれます。
ちなみに次の目標って、どんなことなんでしょう??支店を出すご予定とかはありますか??
<小>
ありますよ!今、アジアでお店をできないか模索している最中なんです!
ええー!すごいーーー!!(わたくしも香港から帰ってきたばかりですーーー。)でも、自分で直接施術をやりたいっていうこだわりはないんですか?ハンドメイド雑貨の作家さんの中には、絶対に自分で縫いたいっていうこだわりが捨てられず、あえて規模を小さいままに維持している人も沢山いますが。
<小>
私、50歳で引退したいと思ってるんですよ。最初は(自分で施術をやりたいっていう)こだわりはありましたよ。でも視力のことを考えると限界がある。自分がやるよりも若い人がやった方がきれいにできるんだったらその方が良いと思います。アジアに出るにしても、アジアの人は手先が器用だし。でもそこにシフトするためには色々考えなきゃいけないこともあって、大変です。
いやもう、絶対うまく行くと思います。
<小>
私もなんか、日本よりもうまく行きそうな気がするんですよ(笑)。
人生の目標がはっきりしていて、ダンナさんも娘さんもみんな協力的。そう書くと、なんだかとても簡単に聞こえますが、それもこれもある日突然空からバラバラと降ってきた訳ではなく、小山田さんが丁寧に努力して至った場所だと思うと、やっぱりすごいな、と思います。
ちなみに小山田さんはうちの水玉バッグ・ロードムービーのモノクロをご愛用くださってます。わたくし(右)は色違いのマルチカラーを使ってます。わたくし達、ご覧の通り結構身長差がありますが、お互いに使いこなせてます☆
と同時に、わたくしもそうやって1つずつ頑張っていったら、同じような所にたどり着けるのかな、と思うと、勇気がわきます。
いつかアジアのどこかで、「あの時あんな話をしてましたよねー」なんて、言いあえる日が来ることを願って、わたくしは小山田さんの背中を追いかけます。
貴重なお話、ありがとうございました。これからも夫婦共々よろしくお願い致します!
バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki
(一部敬称略でご紹介させていただいている場合がございます。ご了承ください)
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