カテゴリー:ブランド運営について

質のいいものを、末永く、より輝かせることができる人/「てんてんしましまを探して」第10回・福岡「カラフルブティックモア」オーナー・平田マドカさん

「てんてんしましまを探して」 / ショップさん / 雑貨屋さん

「てんてんしましまを探して」は、毎週木曜正午更新
てんてん(水玉)しましま(ボーダー&ストライプ)のかわいいアイテム、そこに携わる人々の思いをバッグブランドSaori Mochizukiのデザイナー・望月沙織がつづります。

「てんてんしましまを探して」第10回
福岡「カラフルブティック モア」/オーナー・平田マドカさん

カラフルブティックモア

平田マドカさん

本日の記事はこちらのページにアップされております。ぜひご覧くださいませ。

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

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環境は自分の手で創るもの/「てんてんしましまを探して」第9回・東京/自由が丘「アイサロンシエル」代表・小山田松美さん

「てんてんしましまを探して」 / ショップさん

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「てんてんしましまを探して」第9回
自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

小山田松美さん

こんにちは、水玉とボーダー&ストライプのバッグデザイナー・望月沙織です。「てんてんしましまを探して」もおかげさまで、はや9回目、本日ご紹介するのは自由が丘でまつげ専門サロンを経営されている小山田松美さんです。

小山田さんとのご縁は、説明しようとするとわたくしのダンナでもある我が社の撮影部長・谷 峰登にまで話がさかのぼります。

谷は主にTVCMや映画の映像を撮るカメラマンをやっております(その合間でたまーにうちの商品撮影なんかをやってもらってます)。そして撮影の際には、「照明技師」という光をコントロールするプロフェッショナルとタッグを組みます。

「照明」というと、ライトをぼんぼんあてるイメージがあるかもしれませんが、例えば室内の撮影の時、窓から流れ込む自然光を調節したり、逆に外ロケであたりすぎる太陽光をカットしたりと、画面の中の光の回り方をコントロールするのが主なお仕事になります。特に映像の場合、被写体が色々と動き回る場合があるので、結構大変なのです。

当然映像の色味やトーンを左右するお仕事なので、カメラマンにとっては大変重要な存在でして、たいていのカメラマンは、一緒に組む照明技師さんが決まっています。

そして谷がいつもお世話になっている照明技師が、今日ご紹介する小山田さんのダンナさんの小山田智さんになります(ちなみに最近の谷+小山田智さんのお仕事は、日清カップヌードルのTVCM「現代のサムライ」篇です。たくさん放映されていたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか)。

さてそんな小山田さんの奥さまである、小山田松美さん。まつげ専門店を立ち上げる7年前までは主婦をされていたとおっしゃいます。そこからどのような経緯をたどって現在に至るのでしょうか??色々と伺ってみました。

そもそも最初は美容師だったと伺いましたが、なぜそのお仕事をやめてしまったのですか。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小山田さん、以下「小」>
子供ができて切迫流産になったのを機にやめて、そこからしばらく主婦をしていました。

それなのに、どうしてまた仕事復帰しようと思ったのですか?

<小>
2人目の子供が中学受験の時に、そろそろまた仕事を始めたいと思って準備を始めました。

・・・○○ちゃんのママで終わりたくない。年齢的にも今さらお勤めしても貰えるお給料は微々たるもの。

ならばダメもとで独立してみよう、と思ったのが大きな理由とのこと。

おそらく前半部分は世の大半の「ママ」が抱く思いではないかと思います。ただそこから行動を起こし、会社にもダンナにも子供にもぶら下がらず、自分で自分の人生を切り開いてみようと思ったことがとってもカッコいい。

ちなみにダンナさんは起業するにあたってどんな反応をしましたか?また娘さん達は、小山田さんがお仕事をしている姿をどのように見てらっしゃると思いますか?わたくしも結婚後に起業したので、よく色んな人から「ダンナは反対しなかったのか??」と聞かれるのですが。

<小>
主人は、「僕も家事とか手伝うからやったら良いよ〜」なんて言ってました(笑)。娘達は、自分が(まつげのお手入れを)やってもらえるし、こちらも練習台にできるので、お互いに役立っている感じです。でも美容師には興味がないみたいですね(笑)。

少々補足させていただくと、小山田さんのご主人もうちの谷も、もともとがサラリーマンではなく、もう既に自分たちが「起業」しているような状態なので、普通の家庭に比べるとフリーで仕事を始めたり、起業することに対する抵抗がおそらく非常に低いです。また始めようとするわたくし達側からしてみても、彼らの良い部分も大変な部分も目の当たりにしてきているので、色んな意味で腹も座っています。この感覚は、なかなか一般的には理解しにくいかもしれませんが、とにかく普通の家庭に比べて幸か不幸(?)か「起業」へ向かいやすい環境にあるのは確かです。

とはいえ、やるかやらないかは自分次第。そしてやってみる道を選んだ小山田さんですが、でもなぜ美容師に戻らなかったのですか??

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
体力的に大変じゃないほうがいいと思いました(美容師は基本立ちっぱなしなので)。なおかつ美容師の免許がいかせる仕事、と思ったらまつげサロンにたどり着きました。同じ美容というくくりでリフレクソロジーやオステオパシーも考えたのですが、体力を使う上に特に国家資格が必要のない職業だったのでやめました。

ということは、まつげの施術をするためには美容師の資格が必要なんですね。知りませんでした!

<小>
まつげサロンが世の中に登場し始めた頃は、特に資格はいりませんでした。でも途中から免許が必要ということになりました(※)。一応首から上(の施術)は美容師のみに許されています。免許がないから続けられず廃業したお店もあったようですよ。

※トラブルが多発したのをきっかけに、2008年7月厚生労働省によって、まつげへ施術を行うには美容所登録並びに美容師免許が必要という通達が出された。

ちなみに3、4年前、初めて小山田さんのお店でわたくしが施術を受けた時は、確かお一人でやっていたと思います。今はその時よりも広い場所に移転して、更にはスタッフも増えていますが、どういうきっかけで規模を拡大したのですか?

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
(規模を大きくすることは)最初のプランにありました。

おー!すごい!目標を定めるのは大切ですよね(そして今のわたくしにはここが足りておらず、現在今までの行き当たりばったり経営の抜本的改革を進行中です…)。

<小>
本当は青山とかに出したかったのですが、(自宅に近いからという理由で最初に出店した)自由が丘の方が客層が読めたので、2012年3月に今の場所に移転して、9月にスタッフを入れました。

でもスタッフが増えると、自分1人でやっていた時とは根本的に色んなことが変わるので、色々大変ではないでしょうか。わたくしも今同じ境遇にあるのでよくわかるのですが…

<小>
好き勝手ができないのが大変ですよね(笑…そしてモチヅキ、大きくうなずく…)。あとはなるべくマニュアル化しようとしてますし、空き時間(予約が入っていない時)に何をしてもらうか考えるのも大変です。距離感も大切ですし。

確かに、スタッフ全員で同じクオリティの仕事をしようと思ったら、ある程度のことはマニュアル化した方が効率があがります。また、スタッフと仲良く信頼し合いながらやりたいけれど、ボスである自分は決してスタッフの「友達」ではないことを考えると、距離の取り方は本当に難しい。

とはいえ、そうやって規模を拡張できたのは、きちんと売上も立てられたからだと思うのですが、その辺り、続けてこられた秘訣はどこにあると思いますか?

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

<小>
うちはリピーターのお客様が多いから、それに支えられています。来店時に、次はいつ来るとまつげの美しさをキープできるかご提案して、次回の予約を入れてもらっているのは大きいです。そうすると自分たちも予定が立てやすいですしね。

なるほど。でもどんなに次の予約を入れてもらっても、また来たいって思える何かがないと、お客さんの足は向かないと思います。そのポイントは何だと思いますか?

<小>
うーーーん、なんだろう、、、、、。でも、間違いなく癒されると思いますよ。痛い思いはしませんから。

?????

最初、このコタエにあまりピンと来ませんでした。というのもわたくしは、まつげのお手入れは小山田さんのお店以外ではほぼ経験がありません。施術中に何か怖い思いはしたことがなく、それが当たり前のクオリティだと思っていましたが、この話を聞いてから、試しに色んな友達に聞いてみると、「痛い思いをするっていう噂はよく聞くから、挑戦してみたいけど怖くて行ったことがない」っていう人が結構いたのです。

つまりリピーターの皆さんは、そんな確かな技術力に惚れ込んで、「まつげならアイサロンシエル!」って決めているってことなんですね。それが小山田さんだけではなく、スタッフ皆さんで維持できているというのはなかなか簡単にできることではないと思います。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

施術前には、じっくりカウンセリングをしてくれます。どんな仕上がりにしたいか、カールの見本帳やイラストなどで確認しながら、こちらの要望を色々確認してくれます。

ちなみに次の目標って、どんなことなんでしょう??支店を出すご予定とかはありますか??

<小>
ありますよ!今、アジアでお店をできないか模索している最中なんです!

ええー!すごいーーー!!(わたくしも香港から帰ってきたばかりですーーー。)でも、自分で直接施術をやりたいっていうこだわりはないんですか?ハンドメイド雑貨の作家さんの中には、絶対に自分で縫いたいっていうこだわりが捨てられず、あえて規模を小さいままに維持している人も沢山いますが。

<小>
私、50歳で引退したいと思ってるんですよ。最初は(自分で施術をやりたいっていう)こだわりはありましたよ。でも視力のことを考えると限界がある。自分がやるよりも若い人がやった方がきれいにできるんだったらその方が良いと思います。アジアに出るにしても、アジアの人は手先が器用だし。でもそこにシフトするためには色々考えなきゃいけないこともあって、大変です。

いやもう、絶対うまく行くと思います。

<小>
私もなんか、日本よりもうまく行きそうな気がするんですよ(笑)。

人生の目標がはっきりしていて、ダンナさんも娘さんもみんな協力的。そう書くと、なんだかとても簡単に聞こえますが、それもこれもある日突然空からバラバラと降ってきた訳ではなく、小山田さんが丁寧に努力して至った場所だと思うと、やっぱりすごいな、と思います。

自由が丘・まつげ専門サロン「アイサロンシエル」/代表・小山田松美さん

ちなみに小山田さんはうちの水玉バッグ・ロードムービーのモノクロをご愛用くださってます。わたくし(右)は色違いのマルチカラーを使ってます。わたくし達、ご覧の通り結構身長差がありますが、お互いに使いこなせてます☆

と同時に、わたくしもそうやって1つずつ頑張っていったら、同じような所にたどり着けるのかな、と思うと、勇気がわきます。

いつかアジアのどこかで、「あの時あんな話をしてましたよねー」なんて、言いあえる日が来ることを願って、わたくしは小山田さんの背中を追いかけます。

貴重なお話、ありがとうございました。これからも夫婦共々よろしくお願い致します!

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

(一部敬称略でご紹介させていただいている場合がございます。ご了承ください)

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湧き出る疑問に文章で立ち向かう/「てんてんしましまを探して」第8回・文筆家・熊沢里美さん

「てんてんしましまを探して」

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「てんてんしましまを探して」第8回
文筆家:熊沢里美さん

熊沢里美さん

熊沢里美さん
1987年 福岡県生まれ
2011年 東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業後、同大学大学院に進む
2013年 同大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了後、(株)ジュンク堂書店に入社
2014年5月 初の単行本「だれも知らないムーミン谷」(朝日出版社)を上梓

こんにちは、水玉とボーダー&ストライプのバッグデザイナー・望月沙織です。8月も終盤ですね。今年も早いです。あせります。

さて本日ご紹介する文筆家・熊沢里美さんは、わたくしのアシスタント・イフクの学生時代の同級生です(2人とも東京芸術大学・同大学院の出身)。「てんてんしましまを探す」というこのコーナーの趣旨からは少し逸脱するかもしれませんが、無から有を作り出す彼女のバイタリティや才能は、ブランド運営に通じるものがあり、とても魅力的です。今年5月にプランタン銀座でやったうちのイベントに熊沢さんが遊びにきてくださったのが最初の出会いですが、その時お話を伺ってみると、ちょうど処女作が出版されたばかり、というではないですか。

えっ?
えっ???
本て、そんなに簡単に出版できるものだっけ??

わたくしは興味津々になり、その後現在熊沢さんが勤務されている書店まで押し掛けていって、そのご著書を購入させていただきました。

という訳で本日は、どうやって本を出版するまでに至ったのですか?なぜ芸大(美術大学)に行ったのに、絵ではなく文章で表現しようと思ったのですか?…その辺りについて、もう少し突っ込んで伺ってみたいと思います。

熊沢里美さん

Oggi9月号特集「仕事を楽しむ、自分を楽しむ」より

Oggi9月号(小学館)の特集記事を拝見してまずびっくりしたのが、在学中、就職活動で出向いた出版社で、この処女作(「だれも知らないムーミン谷 孤児たちの避難所」朝日出版社)の出版の糸口をつかんだということだったのですが、それは就職面接とかでの出来事だったんですか?

<熊沢さん(以下、熊)>
いえ、そうではなかったんです。私は大学3年の時と、4年の時、それから大学院に入ってからと、全部で3回就職活動をしているんですが、どうしても出版社で働きたいのに、全部筆記で落ちていたんです。

だから芸大の先生に「どうしたら受かるんでしょうか?」と相談したら、「この人に話を聞きにいってこい」と、ある人を紹介してくれました。それが(「だれも知らない〜」を出版した)朝日出版社の常務だったんです。

でも朝日出版社はそもそも新卒を採用していなかった。また、編集という仕事の内情を色々説明してもらい、「君の性格だとちょっと難しいかも」とも言われてしまいました。

だけど、タダじゃ帰れない!と思って必死に自己アピールをしたんです。ちょうど北欧を旅して北欧民話について色々調べていた所だったので、その話をしました。それが全てのきっかけです。

でも、学生の自己アピール程度では、「じゃあ本を出しましょう!」とまでにはなりませんよね。それが熊沢さんの場合は本当に出版までたどり着いてしまった。その差は何だったと思いますか?

<熊>
おそらく先方に「この子を手ぶらで返すわけにはいかない」っていう思いがあったのかと。最初に相談をした先生と、この出版社のかたは、長年一緒に仕事をしていて信頼関係があったので。

あとは、今振り返って思うと「ね、やっぱり書けなかったでしょ。そんな甘いもんじゃないんだよ!」って思わせたかったのではないでしょうか(笑)。

相談をした先生にも、教育することや、人材を育てることへの義務感があったので、まずはそんなに世に出たいなら、こてんぱんにやられるべき、っていう思いがあった。

そこに根っからの負けず嫌いな私が、本当に食らいついてしまった、って感じでしょうか(笑)。

実際の出版までには2年を要したそう。何度も締め切りを踏み倒し「本当に苦しかった」といいつつも、出版社の気持ちをつなぎ止めた力はすごい。

そもそも出版社に受からない事実に対して、「そんなもんだ」と腐らずに、そのためにはどうしたらいいのか考えて行動できたこと自体も感動的だし(わたくしも就活で落ちまくりましたが、先生はおろかだれにも相談すらせず、ただただ世を呪っておりました…)更にはそこからもたらされたチャンスをモノにした精神力も並大抵のものではない。

熊沢里美さん

左:熊沢さんの短編「家族写真」が掲載されている「本の窓」5月号(小学館)
右:「だれも知らないムーミン谷」(朝日出版社)

だけど、芸大で絵を描いていたのに、なんで文章なんでしょうか?

<熊>
一番最初に文章を書き始めたのは、小学校3〜4年の頃でした。当時インターネットが流行り始めて、夜の10時から接続し放題になったので(懐かしい…そして歳の差を感じる…わたくしがインターネットに触れたのは大学に入ってからです)そこで詩や小説っぽいものを書いて投稿してたんです。賞を受賞したりもしました。

なるほど。ではそこからどうして芸大(美術方面)に進もうと思ったのですか?

<熊>
入学した高校は進学校だったんですが、1年の時、美術の先生が「美大に進みたい人がいたら、早めにいってね」って言ったんです。その言葉を聞いて「おや?美大って今から目指せるものなの?!」ととても興味がわいた。そしてどうせなら(単に進学校のレールに乗るのではなく)本当に興味があるものに挑戦してみるべきだ、と思ったんです。

そこからストレートで芸大に受かったというからまた舌を巻く…。

それなのに、どうしてまた最終的には文章に戻ってきたのですか?

<熊>
私、美術の押し付けがましい所が嫌になっちゃったんです。展覧会を見に行っても、自分が見たい絵が一番最後の方に飾ってあると「なんで今すぐ見れないの?!」ってウンザリしちゃう。部屋で絵を描けば散らかるし、冷蔵庫の中は訳の分からない画材で一杯になる(笑)。

だけど文章だと、自分の好きな時に好きなペースで向き合えますよね。ビジュアルも押し付けずに、読んだ人が自由に想像できる。

つまり、状況が自分でコントロールできないものは、あまり好きではないと。

<熊>
そうなんです。だからそれで言うと、美術鑑賞で私が一番好きなのは、画集をめくることなんです。

笑!画集なら、自分の好きな時に好きなタイミングで見られますもんね。

<熊>
あと、私の文章のスタイルは、ある疑問に対して、仮説を立てて検証する、っていうものなんですが、ある時、絵を何枚も描いている友人が「楽しい」って言ってるのを聞いて、私は何だったらずっと楽しめる?って考えたんです。その時に、「疑問」だったらいくつでもわき上がってくるかも、って思いました。

ちなみにこの「仮説」→「検証」というのは、楽天の三木谷社長の好きな(?)言葉で、ビジネス立ち上げの基本でもあります(お客さんには○×というニーズがあるのでは?という「仮説」を立てて、それを提供できるサービスを作って「検証」する。これをいかにスピーディに回していけるかが重要だ、と三木谷さんは説いています)。

先ほどの「なんで私は出版社に受からないの?」→「出版社の人に話を聞きにいってみよう」というのは、まさにこの「仮説」→「検証」です。そう思うと、熊沢さんにはビジネスマンの素養があります。だから例えば起業して、そこで文章力を使っていくという方法もあると思うのですが(起業すると他人を説得するために大量の文章(企画書とか)を書く必要に迫られるので)、そういうのはどうなのでしょう?

<熊>
いやー、私はやっぱり自分がまず疑問に思うものじゃないとだめなんです。だからライターの仕事(依頼されて対象を掘り下げる仕事)ですら無理なんです。

だったら例えば何かを取材して謎をひも解くというルポルタージュみたいな手法もあると思いますが?

<熊>
私、家を離れるのが苦手なんです。家が見えない場所が嫌いで、迷子になるのがとにかく怖い。上京してからずっと、お出かけしている気分ですし、家を一歩出たら戦争だと思ってるんですよ。

なるほど。熊沢さんの軸には、まず、自分の力でコントロールできないものに対する圧倒的な恐怖心があるのですね。

結局時間がなくて、どうしてそういう状況をそんなに恐れるのかということを伺うことはできませんでした。

でもその気持ちはとても理解できます。

わたくしもかつては誰かとケンカすると、相手が自分の思う通りに考えを変えるまでは絶対に許さないって思ってました。でも最近は、体力がなくなってきたせいか(笑)、大概のところで「ま、いっか」と状況に身を委ねてしまうことが多くなりました。

それは自分の経験値が上がって、身を委ねても何とかなるスベを身につけたからかもしれないし、もしかしたら単に諦めているのかもしれない。よくわかりませんが、それでも人生は何とかなっている。

熊沢さんは取材の最中、しきりと「私には小説の一番いい部分でもある、人と人との関係性を書くことができない。そういう才能がないんです」っておっしゃっていましたが、もしかしたら試しに他人に自分の価値観を委ねてみると、新しい人間関係の形が見えてくるかもしれませんし、わたくしは全然悲観することじゃないと思いました。

だって本当に才能がなかったら、そもそも本を出版することなんてできませんもの。

たぶん熊沢さんはこの問題も、元来の頭の回転の良さとみなぎるガッツで乗り越えていくことと思います。そうやって乗り越えた先でつかんだものを、またゼヒわたくし達におしえてください。

これからの熊沢ワールド、楽しみにしております。

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

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熊沢里美

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踏み出した先にあるもの/「てんてんしましまを探して」第7回・東京/二子玉川「cucirina!(クチリーナ!)」オーナー・中村彩子さん、辻杏子さん

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「てんてんしましまを探して」第7回
二子玉川・cucirina!(クチリーナ)/オーナー:中村彩子さん・辻杏子さん

二子玉川クチリーナ!さん

左:(妹)辻さん、右:(姉)中村さん

大先輩として、存在しているのは存じ上げていたけれど、なかなか交わる機会がなかった人たち。それが雑貨店cucirina!(クチリーナ)のオーナー・中村彩子さんと辻杏子さん姉妹だ。

cucirina!さんはオリジナルのハンドメイド雑貨も販売されていて、わたくしはどちらかというと最初はその存在を通してcucirina!さんを知りました(この「てんてんしましまを探して」でも度々名前の出てくるアリヴェデパールや+flowerで商品はよくお見かけしていました)。しかもお店の場所が、二子玉川。

でも駅を挟んでうちのアトリエとはちょうど正反対に位置しているということもあり、なかなかお店に伺うチャンスがなかったのですが(単にわたくしの腰が重かったということもある…)、昨年末、うちのアトリエで忘年会をした時にやっと中村さんにお会いする機会に恵まれ、以来、税理士さんをご紹介いただいたり、一方的に色々お世話になっております。

今回はそんなcucirina!さんに、「どうしたら息長く活動して行けるんでしょうか?」「姉妹でやっていくのって、大変じゃないですか?!」なんてことを率直に伺ってみました。

二子玉川クチリーナ!さん

店内の奥にはミシン作業ができるアトリエスペースがあります。

そもそもお2人でこのお仕事を始めたきっかけは何だったんですか?

中村さん(以下<中>)
12年前、私が1人目を産んだ時、独学で「初めてのホームページ」という本を片手にネットショップを立ち上げたのがきっかけです。妹(辻さん)が自分用のポーチなどを作っていたので、そういったものを売ってみたら(辻さん曰く、「ネットショップ用になんかよこせ!って言われた」…笑)結構注文が入ったんです。

その後、イベント販売を通じて知り合った方に委託販売という方法があるということを教えてもらって、他のお店でも販売してもらうようになりました。

ではそこから実店舗を持とうと思ったのはのはなぜだったのでしょう?

<中>
学生時代にフリマを2人でやったりしてたので、その時のイメージがあり、調子に乗って(笑)2005年に実店舗を構えました。

辻さん(以下<辻>)
若かったんですよ(笑)。

なるほど。でも勢いって、大切ですよね。そこから、この場所(二子玉川の駅から少し行った昔ながらの小さな商店街の中)に決めたのには何か訳があったのですか?

二子玉川・クチリーナ!さん

玉川タカシマヤの裏手に広がる、風情のある商店街。右手前がcucirina!さんの店頭

<中>
最初は、父が目黒出身だったので、東横線沿線の学芸大学のあたりがいいな、と思ってました。でも妹が家を探していたので、1Fがお店でその上がおうちになる一軒家もいいよね、と話していたら、不動産屋さんがもともとお肉屋さんだったここを見つけてきてくれたんです。

もうちょっと住宅街で、とも思ったのですが、母から「女の子だけでやっていて、もし何かあった時にどうするのよ?!」と言われて、確かにな、と思って(緊急時にはお向いのお店に声がかけられる)ここを選びました。

へー!ではこのお店の上は、辻さん家族の居住スペースだったんですね!それって、憧れる人、結構いるんじゃないかな。

でもそうすると、家族の存在が近すぎて、やりにくくはないですか?特に姉妹でやることの難しさってありませんか?わたくしも2人姉妹で妹がいますが、多分うちは無理だと思うんです(実際にうちの妹はわたくしとは全く異なる職業—地元で公務員をやってるし)。

<中>
なんだろう、、、例えば、お互いのライフステージが違ってしまったこと(出産時期など)とか、、、

<辻>
ちがうよー!姉が適当にやりちらかしてたことに対して私が「もーーっ!」ってなったことはありますよ(笑)。

笑。性格がそれぞれ違うんですね。

<中>
そう、むしろ違うからいいのかもしれないです。妹の方が落ち込みやすくて、それを私が大丈夫大丈夫って言ってる感じです。これが2人一緒に落ち込むタイプだったら続かなかったかもしれないです。

とはいえ性格が違うと、意見がぶつかりませんか?役割分担とかはあるのでしょうか?

<中>
ぶつかることはないですね。

<辻>
作るものに関しては、(お取引のある)お店の傾向にあわせてそれぞれが担当しています。

ではきっちりと、それぞれが担当するものをそれぞれが作る感じなんですか?

<中>
そうではなくて、最終的には相談して決めてます。妹が店番と、派手なものが好き。私が週2〜3回店に立ちつつ、ネットや事務作業をやっていて、ベーシックなものが好き、って感じに分かれてはいますが。今だとLINEで相談してます。便利ですよ!

二子玉川クチリーナ!さん

最近流行のビジューネックレスは、かわいいけれど重くない?!ということで、
作家さんにオーダーして作ってもらったアイテム(襟元にピンでとめるネックレス風ブローチ)。
今のトレンドも取り入れつつ、使用感も重視したバランス感覚抜群の逸品。

でもお互いに好きなテイストが違うのに最終的にはうまくまとまるということは、なにかデザインの軸になるものってあるのでしょうか?

<中>
カラフル、でしょうか。色を使わないものはないです。

なぜカラフルが好きなんですか?

<中> なんだろ、、、布が好き、だからかな。

あー!確かに。カラフルでどこかノスタルジックな雰囲気のする生地をみると、cucirina!さんを思い出します。

<中>
実店舗を立ち上げた2005年当時って、雅姫さんのハグオーワーとか、リネン素材のナチュラルな雰囲気のものが全盛だったんです。でもそれで差別化をはかるのは難しいと思ったっていうのもあります。

<辻>
あとは、もうちょっと(色のない)コンサバな雰囲気も、なりたかったけど、童顔の私たちには似合わなかった(笑)。

<中>
ただ不思議なんですけど、自分が作ったものすごくカラフルなものを、必ず自分で持つかというと、そうでもない。もちろんとってもかわいいと思って作っているんです。だけど、自分が持ってどうかというよりも、頭の中に「クチリーナちゃん」みたいなイメージがあって、その子が持つとどうか、っていうことを考えて作っている気がするので、(出来上がったものは)本当の自分の好みからは外れていることもあります。

うわっ。さりげなくすごく大切なポイント、でました!

こういう風に、自分の作っているものを客観視できる視点って、重要です。どんなに自分がかわいいと思っても、お客さんがそれをかわいいと思ってくれなかったら、商品としては成り立たないんです。わたくしはよく、自分が作っているものを過保護にかわいがりすぎてしまって、「お前の良さを世間が理解できないなんて、かーちゃん悲しい!」と、モンスターペアレント化している時があるのでわかります…。

二子玉川クチリーナ!さん
二子玉川クチリーナ!さん

cucirina!さんおススメのしましまグッズ。
少し大きめのポーチは、よく見るとファスナーが便利な両開き!
辻さん曰く「先に材料を買っちゃって、あるもので組み合わせているので、深い意味はないんです…笑」
っておっしゃってましたが、こういう心憎いポイントに、女子は引かれるのであります。

他にも何かコツってありますか?わたくしからしてみると、お店を長く続けられているっていうのは本当に凄いことだと思うのですが。

<辻>
…来年の材料を買っちゃう、ってことですかね(笑)。

<中>
はははは!でもそれって実は結構重要で、作家さんでも、初期投資をしたくない(もしくは怖い)からといって、いつも決まったものしか作らない方っているんです。でもそうすると、「ここをもうちょっとこうしたらよくなるのにな」っていうことに応えられない。その結果、やめていってしまう人は多い気がします。

あとは、(初期投資と同じ意味で)ちょっとずつスタッフさんを増やす、っていうのも重要です。(極限まで自分を追いつめて)パンク!の直前で止めておくことって大切ですし、関わってくれる人が増えれば、その人たちのために頑張る!っていうモチベーションも生まれてきますから。

確かに、怖いし辛いけど、乗り越えた先に見える楽しい世界、っていうのもありますよね。わたくしも、怖いけど新しい世界がみたくて、法人化したり、アシスタントに手伝ってもらったり、その時々で器を広げる決意をしてきました。

<中>
数年前から化粧品とか、安めのストール、文房具など、仕入れ商品も扱うようになりました。でも初めは在庫を持つのが嫌だったので、仕入れも怖かったんですよ。

そうやって、1歩1歩、新しいこととそれに付随する恐怖感と逃げずに丁寧に対峙してきたからこそ、今があるんですね。

次はどんな新しいcucirina!を見せてくれるのでしょうか。楽しみです!

またご近所さんのよしみで、遊んでくださいね。ありがとうございました!

バッグデザイナー・望月沙織/Saori Mochizuki

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