「てんてんしましまを探して」第15回・「水玉研究所」レポート【「水玉」という名前の由来を探るvol.1「鍵を握るのは九曜紋?!」】
「てんてんしましまを探して」は、バッグブランドSaori Mochizukiのデザイナー・望月沙織が興味を持ったヒト・モノ・コトについて、毎週木曜正午に更新していきます。企画詳細についてはこちらをご覧ください。
「てんてんしましまを探して」第15回・「水玉研究所」レポート
【「水玉」という名前の由来を探るvol.1「鍵を握るのは九曜紋?!」】
こんにちは、Saori Mochizukiデザイナー/水玉研究家の望月です。水玉のことについてあれこれ探ることを使命にしている水玉研究所ですが、まずは何と言っても「水玉はなんで水玉って呼ばれているの?いつからそう呼ばれているの?」というところから攻めていきたいと思います。
ところで話は変わりますが、みなさん、ご自身のお家の家紋は何か、ご存知ですか??有名なものでは徳川家の葵の御紋がありますが、我が望月家の家紋は、「九曜(くよう)の紋」になります。
・・・お気づきでしょうか?
これ、見事なまでに「水玉」ですよね。
わたくしは最近になってこの事実に気がつきました。いや、もちろん我が家の家紋が九曜だってことはもうずいぶん前から知っていましたが、「あれ?よく見たらこれ、水玉じゃん」って思ったのはほんの数ヶ月前のことでした。
なんですが、実はこれ、正確に言うと水玉ではありません。
モチヅキ私物の色無地着物についている九曜の縫い取り紋
九曜とは古くはインドの天文学にまでさかのぼる考え方の1つで、丸(曜)は星(天体)を表しています。そして中央の星をぐるりと8つの星が囲む様子は完成された状態を表しており、「満月」を意味する名前=望月家に家紋として用いられるケースが多かったようです。
そしてこの九曜をアレンジして作ったと言われているのが、伊達政宗の「水玉文様陣羽織」です。
「水玉文様陣羽織」仙台市立博物館のHPより
伊達家は伝統のある家柄のため、結構沢山の家紋を使用していたそうなんですが、そのうちの1つが九曜と、この羽織の中央に刺繍されている竹雀紋でした。
また、今でこそ「水玉文様」と呼ばれているこの羽織ですが、収蔵されている仙台市博物館の説明によりますと、伊達家の宝物目録には「紫地羅背板五色乱星」と記されているそうです。つまり羽織にちりばめられている五色の丸は、デザインされた当時は、水玉ではなく星(曜)と呼ばれていたことになります。
となると、「『水玉』という言葉は、伊達政宗の時代よりも後から(江戸時代に入ってから)出てきた可能性が高い」という1つの仮説が立てられます。
逆に言うと、それ以前は水玉模様みたいなものは、「星」もしくは「曜」という名前で呼ぶことが一般的だったのかもしれません。
鍵は、安土桃山~江戸時代にあり。
という訳で引続き調査を進めたいと思います。レポートの続きをお楽しみにー!
バッグデザイナー/水玉研究家・望月沙織/Saori Mochizuki
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